エッセイ

Mon, Sep 30, 2019 1-minute read

… それを念頭に、昨日フェリーで九龍に向かう途中モントリオールでフランス語のクラスをいっしょに受けていた空気の読めない女の子(その子は、確かいつも英語で話していて、ある時中国語の話題になったときに、中国語というものは存在しなくて、いちばん多く使われているのはマンダリンなのだと語っていた)と、土砂を運搬している船を比べて、何か自分の中で気持ちが楽になった。というのも、その女の子が自分はとても苦手だったし、それほど気にかけていたわけではないが、今なら違った形で関わることができるような気がしたのだ(今なら許すことができる気がすると書きかけたが、では自分は彼女のいったい何を許すというのだろう)。そして土運船については、ラファエルと窓から見ていたとき、そしてフェリーに乗ったときにその話をした。しかし何について話したかというよりは、その事象が起点になって自分がその船を意識したことに意味があるのではないかと思う。その二つは何か似かよったものがあるというよりも、そこにたどりつく過程に何か関連性があったのかもしれない。