… その事実ははっきりと記憶しているのに、その人たちの色だったり、もっと抽象的なものの見わけがつかなくなってきているというか、自らの意思でそれを混ぜてしまっているのではないか。それがいいことかどうかは分からない。しかし一つだけ分かるのは、自分がそういう道を選択したということだ。もう自分は現実的(あるいは自分が今まで現実だと思っていたもの、思わされていたもの)なところにはいなくて、そうでない何かを掴みかけている。そしてその世界においては人のイメージが混ざり合っていても何ら不自然なことはないし、むしろそうあるべきなのだ。
… 自分のことを非難してネガティブになることをチョコレートと呼ぶことにしている。今はまさにそれで、そして言葉すら尽きて虚しい状態になってしまった。日記を書くのが正しかったのかはよく分からない。自分は一年前からどれだけ変わったのだろうか。それとも変わっていないのだろうか。それも結局のところは言葉遊びでしかないのだ。
Reverse process of weaving: pattern to detail 自然なことば、問題提起
recurring emotions - words sketches based on framework framework based on ?
今日はヤンと会って植物園に行った。 … 斜めに伸びている木を見て、クイアーだという話になって日本語で名前をつけるとしたら何かと聞かれた。盆栽展で直幹ということばが解説されていたので、斜幹というのはどうかと思った。ヤンと話していて気づいたが、自分は複雑な状況をかかえてベルリンという複雑な街に来たが、逆にそのおかげで物事がはっきりしてきたような気がする。
While working at an office in Ginza, I often went for lunch with colleagues.
I walked and biked on this overpass everyday from the days in elementary school to high school.
I walk along this sidewalk on the way from my parents’ house to a bus stop at which a long-distance bus to Tokyo stops.
I found these tiles in a mall in Nakano, Tokyo on the way to a studio for a contact improvisation jam.
I stopped by at Tokyo Waterworks Historical Museum when I visited the residency exhibitions at TOKAS.